長崎は桜が満開。
長崎潜水の正面にもとても綺麗な桜が咲きます。
しかし、新型ウィルスの感染拡大を考慮して本日から休業。。。
長崎県内では明日から学校が再開されるそうですが、やはり、国内で感染拡大が続いている現状では苦渋の決断ですがお客様の健康が第一との判断で決断いたしました。
33年前のおおびき島。
ウエットが派手ですね、今より。
今のボートはKailunaとバイキングスターですが、この当時は潜友丸。笑
ちなみにKaikunaの由来は、私の子供の名前KAINOAとLUNAから。
バイキングスターは店名バイキングハウス、バイキングダイバーズサプライズから。
1989年、今から31年前の長崎新漁港三重ベース。
当時は耐圧検査場もありましたが、マイクロバスと中型バスの2台のバスのパーキングでした。
この頃から、船名もバイキングスター。
この50フィートのボートから30名定員になったのかな?
この頃は、池島炭鉱も操業中で道がある!!
福岡と長崎からバス2台でボートは2往復、毎週60名のダイバーがおおびき島でダイビングを楽しんでました。
33年前のパンフレット。
機材が歴史を感じます。
この当時はスクーバダイバーコースなんて、中途半端なカードはなくてオープンウォーターコース。
ライセンス台も含め、53,000円。
それから、33年経過した現在の価格。
53,000円。笑笑
これも良くも悪くもいかがなもんでしょう。
時に悩むことも多々ありますが、今も昔も変わらない信念でお客様にダイビングを楽しんで頂きたいと言う思いは変わりません。
私、松尾がダイビングを始めたのは昭和53年春、数えたくもないですが今年で42年目を迎えます。
この写真は中学生かな?
水中写真家、中村征夫さん。
椎名誠さんのお二人が、雑誌、ブルータスの取材で五島列島をサバイバルキャンプと海を楽しむと言う企画で、この時、初めて椎名誠さんはダイビングしたのかな?
この時に、中村征夫さんのカメラ持ちのアシスタントをさせて頂いてから、水中撮影のスキルを学びました。
ちなみに、この方は私が10歳からダイビングを始めた時の師匠の森さん。笑
元自衛官、潜水艦乗りからの暴走族。
からの椎名さん、中村さんの取材にも同行してカメラにハマり、二科展に入賞するまでに。。。
とにかくデタラメ人でしたが、いまでは社長になってます。
今の私は、この人の影響もあるのかもしれません。
もちろん、今も師匠です。
二十歳の私、今では上裸にもなれませんが、金の首輪がバブリーですね〜〜、絶対、嫌われてた。
自分で言うのも何ですが、この時は嫌なやつでした。笑笑
で、休業の案内からいきなりタイムスリップしましたが現在に戻ります。
時代は大きく変わりました。
このパンフレットは10年くらい前のかな?
いまではネット、SNSですよね。
紙の案内を渡すことはほとんどなくなりました。
長崎潜水は私で2代目で、始まりは私が生まれた年の昭和43年、西暦1968年です。
今年で開業52年目を迎えます。
これも偏にお客様に支えられてこそ、今があるのだと感謝しながら日々、仕事をさせて頂いております。
はい、こちらのお方が先代でございます。
御年81歳、海から出たと思ったら山へ行きました。
77歳で北海道のこの資格を取得したのは最高齢記録とか!?
現在も冬は北海道で準ではなく、指導員を目指してます。
いくつまで生きるつもりなのでしょうか??
この方が多くの敵を作った人ですが、味方もそれ以上います。笑笑
綺麗な桜です。
今回のブログ、何を言いたいのか?
アンチな書き込みを見て、基本、普段は反応しないのですが色んな意見もあるし、考え方があって良いと思います。
それに対して個別に反応するほど暇もないですが、たまには一言。
社会から必要とされていなければ半世紀以上も、商売出来ていません。
私個人としても必要とされなくなれば、こんなリスクの高い仕事は明日にでも辞めます。
現在、日本国内で大型ダイビングボート所有、自社ビルダイビング専用プール、耐圧検査場及びナイトロックス充填設備、半世紀以上の営業実績を持っているダイビングショップがあるでしょうか?
世界の危機と言われている、今、みんながハッピーになれるように頑張る時です。
批判したいことがあれば、匿名じゃなく名前だしてコメントしてもらえたらいつでもウェルカム!
平和の街、長崎。
マリンスポーツもみんなで楽しみましょうよ♪